河島英五さんの自宅は大阪の閑静な住宅地でした。
突然訪ねていった私を、あの明るさで大歓迎してくださいました。
広い作曲の部屋にはありとあらゆる楽器があり、まず河島さんは
「とにかく音楽を楽しもう」と 部屋にあるドラムやギターなどの楽器を次々弾きまくって 「こうやってやってみな!」「こんな風にね」
私もあわててギターをベロンベロン弾いてみるものの、すぐには楽しいのだかなんだか分かりません。
そんな私をみて河島さんは手をとって「こうやるの、こうやるの」と教えてくださりながら、その姿がすごく楽しそう。「そうか音楽はまず楽しむものなのだ、、、」私はそれを肌で感じました。
私はそれまで書きためた詞のノートを持っていきました。
ぱらぱらめくって「どれが一番好きなの」と河島さん。「ベストフレンドが好きです。」
「僕もそれが一番いいと思う、、じゃーこれで作ろう」
人生なんていつも失敗ばかり、、、という詞のところで「人生なんて言う、言い方はあんまり良くないな。君が好きな中島みゆきさんだったら、昨日も今日も明日も失敗ばかりって、きてもいない明日の事もかくよね。」などといいながら、一緒に詞をなおしました。
そのうち「こんな感じのイメージ、、それともこんなかんじ?」と
ヒントとしていろいろなコードを弾き「じゃー今度は君が作って歌ってみて」
私が歌うと「いいじゃない。いいじゃない」そんなふうにしてどんどんメロディーが出来ていきました。
さび前まで出来たら河島さんは「おなか空かない。御飯食べに行こう。その前に、今出来たとこまで録音だ。」
いつだって私は失敗ばかり
誰だって悩み抱えているはずなのに
自分ばかり不幸に思えてきて
悲しくて涙あふれる夜
自分の詞に思っていたような曲がどんどんつけられて、、確かに思っていたより、楽しく
音楽が出来ていきました。
続く
ホームページに私の日記を書くことにしました。
さわやかな五月気持ちも晴れ晴れとして、近くの公園に行く、、、
べンチで座って子供たちの笑い声や、、、風の音を聞いていると、、
晴れやかだった心の隅に無性に寂しさが広がります。
河島英五さんを思い出すのです。
私の始めて作った曲は「ベストフレンド」
ライブでもこの曲が一番好きと言われることが多い曲です。
あれはもう7年も前のこと、、南こうせつさんの日比谷のライブに
出していただきました。
その打ち上げで、、、。河島英五さんに初めてお目にかかりました。
詞を書くとそれに自分で、曲をつけたいと思っても、専門的に勉強したことが
ないので、 難しそうで、、、。そんなことを私が話したと思います。
河島さんは、あの明るく豪快で、、そして何とも優しい目で
「作曲なんて簡単だよ、、一日勉強したら出来ちゃうよ、、。」
目をまん丸くした私に「、、、、さんもこの前習いに来たよ。うちに遊びに来たら
いつでも教えてあげるよ。」と続けられたのです。
一日で作曲来るようになる、、晴天の霹靂でした。
その日から,何とか河嶋さんに教えていただきたいと言う気持ちで
いっぱいになりました。
でもたった一度しかお目にかかってないのに、のこのこ出かけていって
いいものだろうか、、。
お忙しい方だろうに、、、。、、、私の事覚えていてくださるかしら、、。
だいぶ迷いましたが、、行きたくて行きたくて仕方ない気持ちがふくらんで、、。
どきどきしながら電話に向かっていました。
電話の向こうの河島さんはちゃんと覚えていてくださって
「いつでもいいよ、いらっしゃい」と言ってくださったのです。
河島さんのお宅は、、、、、、、、新幹線に乗って、、、わくわくして出かけました。
近くの目印になるところまで迎えにきてくださった、笑顔の河島さんを
目の前にして、、、、何ともいえない感動でした。
お宅はとてもしゃれた、一軒家で、、、作曲の部屋は広い板張りで、
いろいろな楽器が置かれていました。
お子さんたちはまだ学校のようで、奥様がもう昔から知っているような
親しさで冷たいものを出してくださり、緊張していた気持ちが
少しほぐれたのを覚えています。
「東京からはるばる来るなんてよっぽど来たかったんだね。」「はい」
「じゃーすぐ始めよう」と河島さんとピアノに向かいました。
続く
